2004-02-18 第159回国会 両院 国家基本政策委員会合同審査会 第1号
いろんなことが書いてありますけれども、例えば柳条溝事件あるいは盧溝橋事件といった、今でいえばでっち上げの事件を大義名分として戦線を拡大していった軍部に対して、当時の政治家あるいはマスコミ、あるいは世論もそうかもしれません。
いろんなことが書いてありますけれども、例えば柳条溝事件あるいは盧溝橋事件といった、今でいえばでっち上げの事件を大義名分として戦線を拡大していった軍部に対して、当時の政治家あるいはマスコミ、あるいは世論もそうかもしれません。
柳条溝事件について、この外務省筋の第一報が、現地からの第一報は、これは電報であるわけです、本部に来ているわけです、日本に来ているわけです。そういうようなことについては、今、アジア歴史資料センターというのがございまして、そこでその電報を、電文見れることになっているんですよ。 そういうような形で、やはり歴史の資料としてこれは努めて公開すべき義務があるというように私は思っております。
○委員以外の議員(円より子君) 皆さん御存じのように、一九三一年の九月に柳条溝事件が起こりまして、満州事変となるんですけれども、ちょうどそのころから一九四五年の敗戦までの今次の大戦及びそれに至る一連の事変等にかかわる時期におきまして、未成年を含むアジア等の女性たちが日本の軍や官憲などの甘言また強圧等により本人の意思に反して集められました。
満州事変の始まりとなりました柳条溝事件は関東軍のしわざでございました。しかし、関東軍はこの情報をもちろん隠しました。隠して日本国の本国に報告をいたしました。外務省はこれをおかしいと思いましたけれども、外務省も決定的な情報を突きつけることができませんでした。 そのときに大新聞はこれをどのように伝えたかということをちょっとここで引用してみたいと思います。
一 今次の大戦に至る過程における我が国の社会経済情勢の変化、国際情勢の変化並びに政府及び旧陸海軍における検討の状況その他の今次の大戦の原因の解明に資する事項 二 昭和六年九月十八日から昭和二十年九月二日までの期間 これは柳条溝事件からミズリー号の調印までを期間としているのですが、 (以下「戦前戦中期」という。)
私もそんな反省がありましたものですから、帰国いたしまして、柳条溝事件あるいは盧溝橋事件、あるいはパールハーバーに続く十五年戦争小史を約一カ月ほどかかって読ませていただいたわけでございますが、こうした映像教育と申しますか、近代の歴史ですね、特に戦争の歴史でございますか、そうしたものをやはりきちんとした形で放映をしていくということも公共放送たるNHKの使命ではないかな、このように考えるわけでございますが
このころからアジアの民族主義運動あるいは世界の日本に対するいろいろな不信感、それをめぐって日本の国内の国論が分裂いたしまして、どう対処するかということで議論が分かれるわけでございますが、たまたま排日移民法とか世界恐慌もございまして、一九三一年の柳条溝事件、三七年の盧溝橋、その後真珠湾攻撃と進んでいったのは御存じのとおりでございます。
それは、御承知だと思いますが、ことしはパールハーバー五十年が盛んに言われていますけれども、パールハーバーの前に柳条溝事件六十年なんですよね。あの満州事変からシナ事変、日中戦争にかけて政府の言うことを無視して軍が、関東軍が暴走する。関東軍なら関東軍の中では、今度は軍の中央指導に従わないで参謀が暴走する。
パールハーバー五十年ということを言われるけれども、私はむしろこの柳条溝事件ですか、以来六十年、この方が非常に大事だと思う。どうもそれは余り言われないけれどもね。あの十五年戦争の中で、さっきから言っているように、中国や朝鮮に行って住民を虐殺したり、射殺したり、略奪したり、強姦したり、しほうだいしてきた。だから朝鮮や中国の人たちが非常に心配しているわけですよ。
そういう韓国の国防省が突っ走った情報を出して、国会まで出席をいたしましてその実態を述べておるわけですが、振り返ってみまして、そういう一方的な情報で世界じゅうが大混乱に陥るというふうなことがあれば、どこかでだれかが一つ挑発をかければ、柳条溝事件じゃありませんが、そういうことが起きたならば、これはどういう事態に発展するかわからない。
私は、日中戦争につきましては、例えばいわゆる対支二十一カ条の要求であるとか、あるいは張作霖の爆殺事件であるとか、あるいは柳条溝事件であるとか、さまざまな事件がその根底にありまして、中国民族の感情を著しく傷つけていたという事実を否定することはできない。
外務省の課長はうんと言っているから、そのとおり侵略、柳条溝事件じゃ何じゃとでっち上げては満鉄を占領したり、かいらい政権をつくったわけだから、中国人にしてみれば、開拓団というのは権力を背景にして土地を奪い、農地を奪っていたという感じなんだから。
柳条溝事件だってそうなんですよ。国民の見えないところで何か事が起こったような、そういう形で自動的に日本が日米共同作戦の中に巻き込まれてしまう。アメリカ有事の参戦に巻き込まれてしまう、そういう危険が起こることを非常に感じるわけです。
この柳条溝の一炬が全「満洲」を戦乱に巻き込み、そして昭和十二年七月七日の蘆溝橋事件の原因となり、」つまり九月十八日は、柳条溝事件の一発で全満州が戦火に包まれまして、ちょうど張作林、張学長の時代でありますが、これが蘆溝橋事件に発展をして、これは昭和十二年でございます。
私どもが承知いたしておるところでは、去る十八日にいわゆる九・一八事件、柳条溝事件を記念する学生集会が北京大学で開催されております。そして、報じられているところによりますと、その日の午後、北京の天安門広場において約千名の学生が参加したデモ行進が行われたということの由であります。
一九三一年の柳条溝事件、関東軍の独走だったじゃないですか。それが日本をあの戦争に引きずり込んだんです。今も憲法違反の自衛隊ですね、こういう状況をほっておくと一体何があるかわからない。最後に、私がきょう提起したこの問題について、防衛庁長官と首相、誠実に、大きな問題なので国民が納得いくような調査と資料提出、それから責任の所在を明らかにしていただきたく答弁を求めたいと思います。
ところが、後になって国防総省は、トップシークレットの秘密文書で、それは事実無根であり、仕掛けたわなである、日本で言えば柳条溝事件のようなことだということを文書で明らかにした。その文書が発覚して、ワシントン・ポスト、ニューヨーク・タイムズが連載をしました。国防総省はあわてて裁判所に記事の差しとめを請求しました。下級裁判所は差しとめました。
それから第二に挙げてございます満州事変のことでございますが、これは関東軍の現地参謀らが南満州鉄道の線路を爆破し、それを中国軍の行為であると偽って張学良軍に対し攻撃を開始したことに始まること、これはいわゆる柳条溝事件でございますけれども、以後関東軍は東北地方全域に軍事行動を起こし、占領地を拡大していったこと、ついには満州国を発足させるに至ったこと、これはほとんどの検定済み教科書において詳細に記述されておりまして
大事な教訓の一つに、あの対中国戦争では、当時の軍部が、たとえば一九三一年には柳条溝事件、一九三七年には盧溝橋事件、こういういわば一種のでっち上げで日本全体を戦争に引き込むという教訓があったわけですね。
四十六年前の柳条溝事件を発端とする日華両国の戦争と、日本の中国侵略、占領の長い重苦しい歴史を踏まえ、かつ太平洋戦争における日本の敗北以来、大陸中国との間の通商から国交回復への努力の跡を回顧し、加えて、この期間の中での小生自身の上海在勤五年を含めた長い中国とのかかわり、さらに、新中国以来、国会議員として使いすること三回の私の体験から生まれた強い中国への関心からしても、両国のため、衷心よりこの条約の成立